言わずもがな大ベストセラーの嫌われる勇気。どの書店でも見かけますよね。
初めてこの本を読んだとき、哲人の言い分に無性に腹が立って「なんて自分勝手なんだ!」と青年と同じように憤っていました。
けれど今回改めて読んだことで、賛同できる部分もあったので
今回は『なぜ、腹がたったのか』を分析しつつ、どう考えれば理解できるかを考察しました。
あなたは「変わらない」決心をしている

本書は哲人と青年の会話方式ですすんでくのですが、哲人は言います。
「トラウマは存在しない」「怒りは捏造である」「自分で不幸であることを選んでいるのだ」と。
まずは哲人の主張を順番にみていきましょう。
アドラー心理学は原因論ではなく、目的論
と、その前に、本書の中でまず最も重要であり難しい部分を知る必要があります。
それは、アドラー心理学は原因論ではなく、目的論の立場をとるということ。
私たちの大半の人が、過去と現在を結びつけて物語をつくりますよね。
- 彼は子供のころ、親の愛情が足りなかったから非行に走った
- 悲しい気持ちになったから涙を流した
- 身長が低いから、モテない
などなど。私たちが生きている感覚としてこれらは何ら違和感ありませんし、カウンセリングの場でも原因をみつけて知ることから始める場合もあります。
しかし、本書では、原因論を否定します。
- 非行に走るのは、今の親からの注目・心配を集めるため
- 涙を流すために悲しい気持ちを作った
- モテないのを、身長のせいにしている

んん?どういうこと?
具体的な例と、それぞれの目的を合わせて紹介していきます。
トラウマは存在しない
例:自分がなかなか結婚できないのは、子供時代に両親の仲が悪く離婚したせいだ。
これは哲人によると現状の自分に対する言い訳・保険が目的です。
『トラウマさえなければ、私は幸せな家庭を築けた』という可能性の中に生きているうちは、今の自分を慰めることができるからです。
怒りは捏造である
例:お気に入りの服にコーヒーをこぼされてカッとなって怒鳴ってしまった
このような場面もよくあるかと思いますが
哲人によると「大声を出して相手を屈服させること」が目的で、その手段として怒りは捏造されたにすぎないのだそう。
相手を屈服させることができれば、自分の主張の正しさを押し通すことができるからです。
自分で不幸であることを選んでいる
例:自分は友人もいないし学歴もないし、何ひとつ長所がない
これも、トラウマと同じで、保険や言い訳をしているだけ。
「他者との関係の中で傷つかないこと」が目的にあります。
自分の短所を見つければ、対人関係に踏み出さないでいられるし、もし誰かに拒絶されたとしても「こんな短所があるから拒絶されたんだ。これさえなければ」と可能性の中に生きられるからです。
つまり、変わることでうまれる「不安」よりも、変わらないことでつきまとう「不満」を自らの手で選んでいる、ということです。
ちょこっと解説

これはちょっと、あまりにも劇薬すぎますよね。
真剣に悩んで苦しんでいるところに「お前が自分で苦しむことを選んでるんだぞ」と言われても正直何の救いにもなりません。むしろ悩む自分を責められているような気分になりますよね。
あるいは、どこかでわかっているのかもしれません。自分で選んでいることを。
自分に「勇気」がないことを知っている。だけど、この苦しみをそんな簡単に割り切れないよ…と思っていたのかもしれません。
たとえば、彼と同棲するための転職活動がうまくいかないとき
彼と話している最中にイライラしてしまうかもしれません。「なんで私ばっかり大変なの」と。
でもそこでどうして自分はこんな行動をとって、こんな感情を持ってるんだろう?これって自分にとってどんな役に立つのかな?
と考えると、『彼に責任を感じて欲しい=自分の責任の分散』『あなたのためにこれだけ頑張ってるの=愛情の提示=見返りを求めている』『感情を使って彼を支配(コントロール)しようとしている』という本心があるのかもしれないと気づけます。
じゃ、それがわかったからってなんなんですか??という疑問には次の章で答えていきます。
自分の本心をしってどうすればいいの?

キーワード「課題の分離」
例:子どもの勉強は誰の課題なのか?
これはつまり、その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?ということ。
あくまでも、いつでも援助はするが他人の課題に介入はしない(=課題の分離)という姿勢が求められます。
子どもの勉強は親の責任ではないのか・子どものことを想うと勉強させた方がいいのではないかと私たちは考えますよね。
ですが、哲人によると「あなたにはどうにもできないことを介入することこそ自分勝手で、相手の自由を奪っているのだ」となるわけです。
逆に、自分の課題に他人を介入させないというのもポイントになります。
つまり、「他人の期待や評価(介入)を気にかけず、自分の思う最善の道を選ぶこと」がより良い人生をつくるわけです。
「自分の選択を他人がどう評価するか」は他人の課題です。

気にしたところで他人の課題には介入できないから、評価を変えられないしどうにもできないよねって話?
そういうことになります。
自己分析の先に
対人関係のカードを常に「わたし」が持っているという気づきを得られます。
この気づきを得られれば「あの人はどう思っているんだろう」と悩んだり「期待に応えたい」という承認欲求から距離を置くことができるのです。
わたしが変わっても、変わるのは「わたし」だけであって
相手に変わって欲しいと思って行動するべきではないとされています。
カードを常に「わたし」が持っていれば承認欲求から解放され、他人に嫌われても本当の意味で『自由』を手に入れることができるのです。
レビュー
この本は向き不向きがあるというか、出会うタイミングが重要ですね。
本書の中で「ひとりよがりになったり開き直ることをススメているわけではない」と書かれていましたが、こんな言い方じゃ素直に受け入れられんでしょとも思います。
家族の中にひきこもりの人がいるとして、これは彼・彼女の問題だからその人自身で解決すべきだと思うと『自分で解決すべき課題なのに甘えている』と思わせてしまう可能性があるように思うのです。
ただ、課題の分離自体はうまく使いこなせると非常に生きやすくなるでしょう。
あくまでも課題を分離するだけであって援助や相談は介入には当たらないようなので、加減がむずかしいところですね。
どちらにせよ「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という考え方は大賛成です。
理不尽な上司がいたとしてもその上司の態度は上司の課題であって、自分は「なぜ上司を理不尽だと捉えるのか」→「仕事がうまくいかない言い訳にしてはいないか」という自分の課題と向き合えばいいわけです。
言い訳してるからなんですか!?と言われればそれまでですが、そんな考え方もできるか〜と気づくだけでも学びにはなるかなと思います。
なかなかにややこしい話を最後まで読んでくださってありがとうございました。
ただ、今苦しみの真っ只中にいると言う人はマインドフルネスなどの考え方の方が優しくて受け入れやすいかと思うので良ければこちらの記事もどうぞ。